レイキへの誘い

レイキと精神世界は決して人の期待する愛の世界ではありません。
しかし、それこそが本当の愛なのだと感じるレイキティーチャーが語ります

すがっちゃいけない託すんです

以前、レイキセミナーを他所で受けた方からメールで相談を受けました。

「私のレイキはちゃんとでてますか?」

彼女は、それが不安で不安でしょうがないらしいのです。

その人がレイキセミナーを受けられたきっかけが、心の不調の改善のためだったらしいのですが、そのレイキが彼女の不安の種になっている、という皮肉な状態。

彼女のメールから、感じるものを返事すると、それからしばらく毎日レイキ波動入りのメールがきました。あるときは素直な感じがしたり、あるときは不安を押さえ込んだような感じがしたり、日々の彼女の精神状態が一緒に伝わってきました。

しかし、彼女はレイキしかないかのようにレイキを出すこと、出ていることを確かめることに執心しました。

悪い結果を答えると、良い結果が出るまで繰り返しメールを送ってくるのです。

何度かそのことを私はいさめました。

「レイキが出ることに執着してはいけない。」

「精神状態によってはレイキのパイプをふさいでいることもあるけど、あせっちゃいけない。」

「だめならだめで、また明日、てくらいのゆったりした気持ちが大切」

などと、繰り返したのですが、なかなか分かってもらえませんでした。

どうして、ここまで執着するのだろう?

おそらくは心の不安があまりにも大きく、彼女はその対抗手段としてレイキしか思いつくものが無かったのでしょう。

自分を守る武器が無くなる不安が彼女をあせらせていたのだと思います。

それは、カルト宗教の神にすがる様子と繋がるものを感じました。

自分が助かるために、レイキをする人は多いでしょう。

私もそういう部分が大きいですから。

しかし、自分のことで精一杯になってあえぐ姿は、レイキとは対極にある姿に思えるのです。

これでは、レイキは効果的には働きません。

レイキだけでなく他の方法でも、とにかく自分を助けて!のように「すがって」しまっては、いけません。

「すがる」心にはエゴがびっちり貼り付いています。

そうではなく「頼り」、「託す」のです。

その力をあてにするのは悪いことではありません、しかし、その結果は頼りにした対象が思う最善の結果をもたらすだけです。決して、自分の都合の良い結果とは限りません。

100パーセントの自力をあきらめたのなら、自分の都合もあきらめて、視点を変えるしかありません。そこから必要な学びを得るしかないのです。

「すがって」いては学ぶ余裕は生まれません。

「託せ」ば、目が開きます。

そこで、私は彼女にメールを送りました。

「自分にレイキが出せているのか、毎日不安になるくらいなら、レイキを捨てなさい。別にレイキにこだわる理由は無いから、他の本当に心が安らぐものを見つけてください。」

それから、彼女はメールを送ってこなくなりました。

一ヶ月ほどして、わたしからメールを送ってみました。

その返事は・・・

「・・・レイキは止めました。ですからもう見てもらわなくても結構です。」

しかし、そのメールから来る波動は今までに無いくらい軽やかでした。

彼女はすがることを止め、自分で立つことを始めたようです。

その内容に私も返事しました。

「おめでとうございます。あなたはレイキを卒業されました。これからの幸せを心よりお祈り申し上げます。」

レイキは、いいところが多いです。だから、私も一億総ヒーラー化!などといってみたりするのですが、あくまで道具なのです。すがって自分で立つことを放棄してはいけません。ある事柄について託すことはあるかもしれません。しかし、託している横で学びを放棄してはいけません。

レイキと言うエネルギーを通して学ぶことが、レイキ本来の目的のように思える今日この頃です。

相談の方は、レイキを表面的に止めることで、次の段階の学びに入ったのです。

もし、このページをご覧になっている方で、レイキを止めようと思われている方があれば一言、「止めた後の、心の状態をよく観察しましょう!」

レイキにすがって、なかなか状態が良くならない人に一言、

「すがるのは止めましょう。託してください。それが出来ないなら、レイキなどお止めなさい。」

レイキを活用しようと思っている人に一言、

「ようこそ、愛の波動へ!損得勘定なしに、子供の心で楽しんでください。レイキはあなたと共にあります。」


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