レイキへの誘い

レイキと精神世界は決して人の期待する愛の世界ではありません。
しかし、それこそが本当の愛なのだと感じるレイキティーチャーが語ります

レイキはなぜ地上に降ろされた?

先日(平成17年9月)に受講生の一人の方と、メールでのやり取りの中でトラブルが発生しまして、いろいろ考える機会
を頂きました。



頂いたメールの中に、「それでもヒーラーですか?」のようなことを書かれているのを見て、「では、ヒーラーとは何なん
だ?」と言う疑問が改めて沸いてきました。



そして、考えて出てきた結論は・・・

単に「心や身体のバランスを調整し、癒しを行うことができる人」

でした。



そして、その精神性の成長度合いは人それぞれであるものだと言う事です。

決してヒーラーは聖人君子ではないし、ある必要もないのです。

ただし、その方向へ向かっていく必要と必然性はありますが・・・



この点をヒーラーや霊能者にすがる多くの精神的に弱い方は勘違いをされているようです。

ヒーラーの多くは精神的な発達では普通の人です。

ただ、成長の段階で最終段階まで来ている人もいて、そう言う人は確かに菩薩のような方になられていると思います。

しかし、癒しの業を始めたばかりの人は精神的にも極めて普通の人なのです。

それを、業を通して精神的な成長をしていき、菩薩のような人に脱皮していくのです。



その方は、私とのメールのやり取りの中で傷付けられたと言い、警察に被害届を出すとまで言われていました。(です
から、みなさんがこのページをご覧になられている頃には私は警察の聴取を受けているかもしれませんね)



なぜ、そこまで話がややこしくなったのかは、正直言って私には理解できません。(ほんとは分かっていることもあるの
ですが、ここには書けません)

ただはっきりしているのが、この方は私が敢えて普通の人間として私が思い考え答えた内容に対して、「ヒーラーとして
あるまじき」行為と思われたということと、そのヒーラーと言うものを、普通の人間を超越したすごい存在と思い込んでそ
れを私に期待していたと言うことです。

それを知っていたので、私はそのように振舞うことを拒否したのですが、それを裏切られたと感じたようです。



確かに「ヒーラー」として、私はその方の精神を癒すための方策をもっと慎重に採るべきだったのかもしれないと反省も
あるのですが、それは、聖人君子、霊能者のフリをすることではありません。それをしてしまえば、私は詐欺師になって
しまいます。



話が自己弁護でそれていきました。



それで、「レイキ」は何故この地上に降ろされたものなのかなのですが、これは私のところのセミナーの課題の答えとも
被ることなので、あまり言いたくなかったのですが、レイキをこれから始めようと言う人にとっては大切なことなのでやは
り言わねばなりません。(少しでもレイキヒーラーになると言うことに対しての誤解を解かねばなりませんから)



ただ、これは私がチャネリングで私以外の存在から直接聞いた話ではありません。私が癒しの業を通して心の底から
感じ湧いて出てきた思いです。

ちなみに私は、先天的?にチャネリングが出来るとか霊が見えるとか超能力があると言う人は、精神的にかなり不安
定で危険な状態の可能性が高いと思っています。時には邪悪な霊や存在に魅入られている可能性が高いです。精神
的に成長をされた方はそう言う存在がついていたとしても本人の人格と統合されているのが普通です。

もし、憑いている物が本当らしいことを言っているとしてもそれらの99.9999999パーセントはその人と、周囲の人を
信用させて道を誤らせ、その存在にとって都合のよい状況を作ろうとしているに過ぎないのです。そのことをご理解いた
だけなければ、私の異常能力者の方への対応は非常に冷たいものと感じられることでしょう。



また、話がそれました・・・



レイキが地上に降ろされた理由。

それは、与える業を人間にさせ、人間の精神性の成長を加速させるためです。

つまり、単に病気の人を救うためではありません。病気直しはそのための方便です。

精神世界の考えで行けば、ヒーラーの前に病人が現れるのは、そのヒーラーがその病人を治す必要があるからです。
それは、そのヒーラーが成長する必要があるからです。



当然病気の人もその病気を通してや、ヒーリングを通して何かを学ぶのですが、今はその面は置いておいて、ヒーラー
の面から考えると、病気の方は癒しの業の機会を与えてくれる存在です。癒しの対象がいなければヒーラーの能力な
んか何の役にも立ちません。はっきり言って役立たずです。それをありがたい存在にしてくれるのが目の前に現れた病
気の人なのです。

このことは、その能力に自惚れてしまうと多くのヒーラーが忘れてしまいますが、その結果、与える業を忘れ単なるギブ
アンドテイクのビジネスにしてしまいます。

場合によっては、自分を信仰の対象の様に扱わせていたりもします。

こうなれば、これ以上の精神性の成長はありません。退化あるのみです。そして、魔に魅入られてしまいます。なまじ能
力があるために、余計に悲惨です。



この危険性に気付かせてくれるのが、臼井先生の残された「五戒」です。

五戒を日々思い出し実践していこうとすると、感謝の対象が目の前にいる存在であることに気付きます。

感謝は、ご縁を頂く全てのものが対象です。

「ヒーリングをしてあげているから、この人には感謝はされても感謝はする必要はない」と思われる方があれば、臼井先
生の精神は途切れてしまっています。そして、それはレイキが地上に降ろされた理由すら忘れていることでもあるので
す。

そんなことにならないように、エゴが一人歩きをして道に迷わないように、五戒をいつも胸にして精神的に成長していっ
て欲しいと言うのが、臼井先生を通してレイキの源の存在が我々に望んでいることではないかと感じています。



では、エゴが先行している人がレイキをすることは正しいのか?という事ですが、これを否定すると正直言いまして私は
レイキを辞めなければなりません。そして恐らく8割近くのレイキヒーラーはレイキを辞めなければなりません。

と言うよりその前に、エゴが先行していてはレイキは出来ないと、レイキの源が思っているならアチューンメントすら成功
しないはずです。これが成功する理由は一つです。それはそんなエゴにまみれている人こそ癒しの業を通して学びの機
会を持って精神的に成長すべき人達なのです。

密教僧が厳しい修行を通して、煩悩を排除し法力を得るように、レイキによる癒しを与える業もそれを通して悟りへと近
づいていくのです。その力=精神的成長の証では決してありません。

成長の証があるとすれば、それはレイキを知り尽くし、使いこなした上でレイキにこだわらない生活をするようになった
時ではないでしょうか。

これはあくまで私がレイキの実践を通してまなんだことでしかありませんが・・・


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