|
ナカムラの半生
この度は「おひさまレイキ」にお立ち寄りいただきありがとうございます。 なにやら怪しいページではありますが、少しでも不安を和らげて頂くために簡単な自己紹介をします。 昭和43年 大阪府に生まれる。 両親は中学卒で、父は土方と言う学も無ければ、金も無い貧乏な家庭で育ちました。 18歳の時 高校卒業後関西外国語大学外国語学部英米語学科に入学。英語の勉強は楽しかったが、伝えるものを持たない人たち、人の考えを正しく捕らえて別の人に伝えることができない人たちが英語をしゃべれるようにならないといけない理由が見つからず、現在の学校の英語教育の方向性に疑問を持つ。今でも英語は100人に一人しゃべれば良いと思っています。残りの人は英語に力を入れるよりも国語や社会の実践的な学習に先ずは励むべきだと思います。 22歳の時 大学卒業と同時に大学図書館に勤務。 本は大好きだが、整理は得意でないこと、公務員ではないが公務員的な意識に魅力が持てず、一年で退職。 23歳の時 大手の学習塾に講師として就職。 3年後に、教育よりも利益効率を優先する姿勢にあきれ、退職。 26歳の時 大手フランチャイズの学習塾本部に就職。 そこではさらに露骨な利益優先の経営があったが、現場のオーナーの中には本部の方針に賛同しないものもあり、彼らを支えることにやりがいを感じながら5年余りを過ごす。 31歳の時 知り合いの予言どおり独立。 直接の原因としては、子供ができたこと。子供といる時間を多くとるために自宅近くで開業。それ以外にはやはり、本社の経営方針と教育よりも利益を優先するオーナーが増えたのも辞める意思を強めた。 32歳の時 宗教団体ワールドメイトに参加。 そこで、深見氏の書物を読み漁り、信仰する気持の大切さを感じた。それまでに、高校に入る前までは父に同行して鞍馬寺の月参りや他のお寺の月参りに出かけたり、修験道のメッカ大峰山に登ったりとしてはいたが自発的な信仰ではなかった。(しかし神仏を身近なものとして捉える下地にはなっていた) そのワールドメイトは1年で退会。理由は深見氏の言っていることと末端の信者の信仰の態度のギャップ(露骨なご利益信仰)また、イベントの集金性の露骨さに嫌気がさした(ただし、そこでの学びを考えると、私にとってのこの団体の存在意義は否定されるものではありません。このあたりは、教祖、教団、信者、教義について、分けて考え、宗教でひとくくりにしないようにしなければなりません) それから35歳まで ワールドメイト退会後、地道な神道の信仰を続け、少しずつ仕事も良くなっていく。そして、仏教に対しても敬うようになる。最初、二つの宗教を信仰することに矛盾を感じたが、様々な書物を読んだり、人の話を聞いていくうちに、神道と仏教(実際には他の宗教でも良い)の個人のうちの並存は日本人にとってはごく自然であることを悟る。この頃よりさらに仕事運が良くなる。 平成15年5月に生駒の聖天さんに初めて参り、仏教信仰実践のホーム グラウンドとすることを決め、今の信仰のあり方が出来上がる。 平成15年12月レイキの修得を決意。よく1月に伝授を受ける。 現在、伝授を受けたものは、 ワールドメイト薬寿師× 臼井レイキ(ティーチャー)○ 六合神功(プラクティショナー)× ゴールデントライアングル(マスター)× チベタンレイキ(ティーチャー)× クンダリーニレイキ(ティーチャー)× (×印は今は実践していないもの。○は実践しているもの。) (ティーチャーは私が他に伝授可能なもの) 平成18年 長男の小学校入学を機に自宅の一室にに学習塾を移転。より人体の仕組みを理解するために整体の勉強を本格的に始める。 自宅にて対面セミナーや出張整体を始めました 平成20年 やはり自宅では狭いので、近くに民家を借りて学習塾と整体施術とレイキセミナーをするようになりました。 このころにセミナー名を「レイキで開運癒し王国」から「おひさまレイキ」に変えました。 その理由は、もっと手軽にレイキヒーリングを楽しめるように、理屈の部分をあまり追求しないようにしたためです。 平成22年 仕事のクライアントの僧侶に弟子入りをし、金峯山寺において得度を受ける(法名 亨修)。修験道の修行を志す。 大峰山は父が毎年修行に登っていた山であり、修験者になることは父のあこがれでもありました。 父の意志を受け継ぎ山伏の修行を志したのですが、訳在って教師(僧侶資格)を授かる前に修行を断念しました。 平成25年 レイキ関連の電子書籍の執筆を始めました。 書いているものはレイキに関する個人的な体験談や、精神世界についてのことです。 これからはレイキのテキストになるようなものも書いていこうと思っています。 |