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40号

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レイキヒーリングで始める開運・癒し生活入門40号
              By レイキで開運!癒し王国(なかむらかずひろ)
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こんにちわ、レイキで開運の中村です

ようやく涼しくなってきたと思ったら、急に暑くなったりして体調を崩されたり
しているかたもいらっしゃるかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?

おかげさまで私の方はボツボツですが健康に過ごさせていただいています。

ここのところ整体の仕事が続いていたので、ちょこちょこともらったりもしていたのですが、それもまた生活の上でのアクセントかなとも思いながら、レイキを意識したりしていました。

そんなことより、今月は新たな出会いです。
と言っても私の場合は、本との出合いなのですが、A・スマナサーラ師の「般若心経は間違い?」。

別に日本での般若心経の存在意義を否定する目的の本ではないですが、般若心経の記述の論理的な矛盾や、小乗のテーラワーダ仏教と後発の大乗仏教の思想のずれについて知らしめるものだと言えそうです。

それよりも、日本の仏教徒の多くの、何と無くの理解で何となくご利益を期待している信仰のあり方に対する、問題提起の意味合いが強そうに思えます。

きちんと教えを説かずに、信じていたら助けてあげますよと言うような日本の宗派の在り方は、信者の依存を高めるだけで、それは決して元々の仏教の在り方ではないのだと言うことが分かります。

仏教は仏になるための方法論を伝えるもの。
それは、悟りを得て全てを体で理解するための方法。
神や仏にすがることを勧めるのではなく、釈迦の教えの実践を通して自分自身の中にある真理の芽を掘り出し、育てる方法を伝えるもの。

その教えは、冷静に論理的に人の命について観察を積み重ね、宇宙の存在するものが生まれ消えて行く時の因果について論理的に、慎重に伝えようとするものらしいですが、私はそこまで深くは仏教を研究したことはありませんので、偉そうな事はここでは言えません。

しかし、何となくレイキの実践者とその精神は似ているな〜、思ってしまいました。
レイキの実践者は、お蔭信仰のような感覚で、理解の無いままに、観察の無いままに手を当てているようでは半人前です。

最初はお蔭信仰でも良い。
でも、徐々に核心に近付いていかねば、ただの癒し屋です。
それでは、狭い自己満足を繰り返すただの機械です。

確かに、それで喜んでくださる方がいるのだから、それなりに意味はあるかもしれません。
でも、何故その方が苦しむことになったのか、どうすれば苦しみから解放されるのか、そのことについて伝えることが出来ないのなら、その癒しは麻薬と同じです。

依存を生むだけです。
理想は、苦しみをきっかけにして、出会った人にそのからくりについてお話をして、
自分でそうならないための、生き方について説明して行くことです。

レイキを持っているから、自分は不摂生をしても大丈夫、とか、悪因縁をつむようなことをしても解消できると言うような発想の人がもしいるとすれば、大間違い。

レイキを通して、レイキに依存をしなくても良い人生が歩めるようになることが大切です。

ちょっと能力があるからと言って、精神世界についてちょっと理解があるからといってプチ教祖みたいになっては大馬鹿野郎。

でも、町のちょっとうるさいオヤジくらいにはならないといけない。

あくまで私にとってのレイキとの付き合い方ですけどね。

あ、話がそれましたが、ちょうど良いタイミングでそのA・スマナサーラ師の講演が大阪で在りまして、それに参加しました。

そこで、慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想の入門の指導もありました。

とても単純ですが、その効果は強烈です。

五戒を繰り返し唱えるのと同じくらいに。

ヴィパッサナー瞑想はまだ私には大変なんですが、慈悲の瞑想は中々です。

終わった後は気分爽快。
節をつけて、文句を唱えて行くのですが、終わってからもしばらくは頭の中にその文句が回っています。

「私がしあわせでありますように
 私の悩み苦しみがなくなりますように
 私の願い事がかなえられますように
 私に悟りの光が現れますように」

「私」の部分を「私の親しい人」「生きとし生けるもの」「私が嫌っている人」
「私を嫌っている人」と変えて読んでいきます。

唱えていると、それをかなえてくれる神様に伝わると言うよりは、自分の中の何かのスイッチが入るような感じです。

結果的に自分から始めて、自分を含む全ての命の幸せを願うこの瞑想は、自分は一人で生きることは出来ないことを感じさせてくれますから、レイキをする人にとってもとっても有意義だと思っています。

また、何よりも、特定の信仰やすがる対象が出てこないためにこの瞑想は、どんな宗教を信仰している人にもすんなり受け入れてもらえるかと思いますよ。

これで今号はおしまいと言いそうになりましたが、レイキの日がありましたね〜。
今回のレイキの日はこの慈悲の瞑想をしながらお伝えしていました。

そのために、上手く伝わっていたのかどうかはよく分かりませんが、ちらほら送ってくださっているご感想を拝見していると、いつもと変わらない感じで伝わっているようです。

何が一番良いのかは分かりません。
というより、一番を求めることが良いことなのか、それに意味があるのかと思うことが多い最近です。

では、10月も皆様にとって良い月となりますように


感謝感謝感謝
なかむらかずひろ



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