レイキティーチャーの独り言

レイキティーチャーが思ったことをつぶやいています

ヒーラーになるための修行はいりません

レイキの特徴に修行は要らないというのがあります。
本当です。
ヒーラーに成るための修行は要りません。でも・・・・

ヒーラーに成ってからの修行は覚悟を決めてしなければ何の役にも立ちません。

レイキにおいてはヒーラーに成ることは目標ではありえないのです。
ヒーラーとなってからどのように成っていくのか?

そちらの方が目標だから、ヒーラーに成るというのはその入り口にたったに過ぎないのです。

学校と同じです。

学校に入るのは人生の目標にはなりえません。
学校に入るのはもっと先の目標に到達するための通過点がそこにあったために過ぎないのです。

それが、最近の人は先の目標を持つことを忘れているために、目先のことしか見ていない。
その為に、そこに至ってからどうするかの覚悟がまったく無い。

高校生大学生を見ていても大半がそうですが、レイキにいたってもその傾向があることは情けなくて笑うしかありません。

ヒーラーと言えど、ヒーリングをしなければただの人。
何かをするからには、そこから学ばなければただの機械。人とは言えません。
機械と人の違いは、同じことの繰り返しの中で、することがいつまでも変わらないのか、洗練されていくのかの違いです。

洗練とは何かを得て要らぬものを纏って太っていくことではありません。
その逆です。
要らぬものをそぎ落として自在に動けるように成ることです。

これはレイキの世界でも同じです。

レイキヒーラーに成ること自体には何の意味もありません

レイキヒーラーとしての活動に意味があるのです。
レイキヒーラーとしての活動を通して、学び、要らぬものをそぎ落として、最後にはレイキ自体もそぎ落としていくことに意味があるのです。

レイキヒーラーとなって、人を癒したいとか言う個人的な目的は確かにあります。
しかし、レイキそのものの存在の目的と言うのは、そう言う卑近なものではありません。

自動車が存在するのが、離れた場所に気軽に行けるように成るためと言うのは利用者の視点であって、自動車の開発者は、自動車の存在によって社会のあり方から根こそぎ変わって、効率的な豊かな社会が訪れることを夢見ていたはずです。

レイキを通して、レイキ実践者がどのように成っていくのか?
それも同様です。
レイキを通して、レイキ実践者がどのようになって行き、そして、世の中がどのように変わるのか?
それは一人一人の思惑に関係なく存在します。

もし、レイキが宇宙の根源のエネルギーと思う人がいるなら、その根源的なものが目指すものを感得して、個人の問題を超越したレイキを体現して欲しいと言うのが、私の願いであります。

その為にも、ヒーラーとなってからの修行は命がけであるべきなのです。
忘れないで下さい、我々は自分が意図するしないに関わらず、この一瞬一瞬を命がけで生きていることを。
ならば、その命がけを意図してする方が良いと思いませんか?

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