レイキティーチャーの独り言

レイキティーチャーが思ったことをつぶやいています

2004年を振り返る

もうすぐ新しい年度を迎えます。
私の2004年度は激動でした。そのまま書くと、恐らくどこがレイキで開運やねん!と思われるかもしれません。
でも、そのまま書いて後は皆さんの御判断を仰ぐこととしますね。(私自身はこの一年、楽しく充実していたので何も文句を言うことは有りません)

この年度はとにかく浮き沈みの激しい一年でした。
そして、おみくじで凶がすごく良く出る一年でした。

本業では、ミスが多く、そのために例年に比べて以上に多い退会者を出した一年でした。
特に妻の入院以後にそれは集中し、教室運営がおろそかになっていたため閉鎖も覚悟したほどです。
しかし、数名の保護者の方々の温かい励ましの言葉のおかげで、何とか新しい年度をむかえられそうです。
そして、結果的に辞めていった生徒を改めて見てみると、保護者の方の考えが元々私の教室理念とは相反していたり、言われている建前と本音が違うために痺れを切らして辞めていかれたというのが実情でした。私の仕事上のミスは結果的に顧客を振るいに掛けて、私が自分に嘘を言う機会を減らすようにことが進んでいたかのようでもあります。(負け惜しみですが・・・)
そして、これからの教室の方向性を考えさせてくれました。
それは、「結果が出なくても良い塾といわれる教室」です。
別に結果を出さなくても良いと言う意味ではありませんが、昨今の塾や学校のように大多数の生徒・保護者の方の求める結果だけを追いかけることは止めて、もっと別のことに私の教室の価値を見出してもらえるようにしようと言う事です。はっきり言いますとニーズにこたえることは商業主義の観点からは正しいのかも知れません。しかし、それはサービス業の観点であり、教育の観点ではありません。確かに学校も塾も通産省から見れば、サービス業であり我々はサービス業従事者です。ですが、子供を育成することは国のサービスではなく、国の存続をかけた生産活動なのです。それを理念を忘れて保護者のニーズに応えることに奔走していて良いのでしょうか。私の塾の存在を是としてくださる方の半数は恐らく自分の子供を通して日本の国の将来をも見ておられることでしょう。しかし、大多数の保護者の方は子供の本当の将来すら見ることが出来ず、今の成績、数年後の受験のことしか具体的には見ようともしないのです。そのような保護者の方々に育てられた子供の多くはやはり、今日明日の事を見ることで精一杯の生活しか出来ません。そんな人たちのニーズに任して、理念を捨てた学校や塾が本当に意味のあるものなのでしょうか?
私は在る訳無いと思っています。基本的に保護者や生徒のニーズは利己的なものであり、国家的な視点は持ち合わせておりません。そのような人たちは日本が無くなっても学歴が在れば自分達は豊かに暮らしていけると言う幻想を抱いています。しかし、もし国がひっくり返れば、学歴は役に立ちません。役に立つのは知恵と精神力と生命力です。
今の保護者や生徒のニーズに応えても、それらは身に付きません。あくまで今の社会で少し役に立つ学歴が得られるだけです。そして、そのようなものにこだわる人が増えれば、当然国家の体力は落ちていきます。何故なら国家の体力とは国民の知恵と生命力と精神力の総和だと思うからです。
それを増やすには、どうすれば良いのか?国は国民に示さねばなりません。そして、協力を仰がねばなりません。
国が無くなれば、今まで手に入れたステイタスも富も学歴も無意味になりますよとはっきり言わねばなりません。
何故なら、国がなくなれば、大多数の日本人は困窮のどん底であえぐだけの人生を迎えるのです。
話が膨らんでしまいましたが、私が具現したいのは、受験の結果でなく、私達との対話や学びを通して、生徒が知恵を身につけ、自分の人生に自分で責任を持つ覚悟を持ち、どのような局面でもあきらめることなく自分の持つ力を最後まで出し尽くそうとする姿勢を身に付けられるような塾です。もしこのようなことが可能になれば、生徒は間違いなく、知恵、精神力、生命力を身につけます。つまり、社会がどのようになってもたくましく生き残れる子供たちになります。
その意味が分かれば必ず「(受験)結果が得られなくても、行かせて良かった」と言ってもらえるものと確信しています。
国を滅ぼしてしまっては元も子もないのです。

話を元に戻しますね。
また、一切の宣伝活動をしていないのに、入会者数が過去2番目、生徒在席数では5年続けて最多を更新する年でもありました。
現在、2005年4月1日の在籍生徒数の予想は過去2番目、2004年度よりも1名少ない数で迎えられそうです。

ミスが無ければ、恐らくは過去の記録を大幅に塗り替えての新年度スタートだったでしょう。
でも、数や売上よりも少しでも自分に誠実な仕事が出来るようになった今の方が、ゆくゆくは自分のためにも周りの人のためにも良いんじゃないかと感じています。
ビジネスだから売上アップ=善、ダウン=悪と全てを判断するのは、精神世界に片足突っ込んだ人間のものの見方ではないと思います。

そして、この仕事の浮き沈みが絶えずおみくじで見事に暗示されていた一年でした。

そして、それによると今までの誠実さが実って収穫を迎える時期だとか。
そのおみくじの次の日に、他の塾の先生からの紹介で入会の問い合わせがありました。

本業以外では、HPでレイキ普及の活動を始めました。
最初のころは5人アクセスがあったら喜んでいました。それが、10ヶ月経った今、普通に50名くらいのアクセスが一日に稼げるようになりました。まあアクセスが有っても、それだけではレイキの普及にはなりませんが、やっぱりアクセス数に比例して、レイキの日の参加数も最初の倍となり、セミナー受講生も一ヶ月当たりの数は3倍になりました。
今のところこちらではクレームは出ていません。本当は言いたい人もいるかもしれませんが・・・。
クレームが出にくい理由は、本業と違ってポリシーを徹底させているからでしょうか。レイキに関しては、極力嘘はつきたくありません。そのために、誇大広告もはったりもしません。無闇に受講者数を稼ぐために希望者の方、問い合わせの方に迎合することも有りません。そうじゃないとお互いのためではないからです。
誰にでも門戸を開く=誰にでも伝授をするではないのです。
やはり、私から伝授をしなければならない人、私から伝授を受けてはいけない人もいるのです。
でも、私から伝授を受けなければならない人または、特定の人からでないといけないと言う人以外の人にとって、金銭的、距離的なハードルが高いと言うのはやはり問題だと思うのです。そう言う人たちに極力門戸を開くことは大切なはずです。それが今の私のレイキ普及のスタンスです。
今のところ、こちらは順調です。多分これからも。

家の方では、妻が妊娠、そして前置胎盤で流産の危機で入院。しかし、奇跡的に快復し、3月22日に無事出産。
この時の経緯で妻よりレイキの効果について、認めてもらうことができました。
また、妻の入院中に、兵庫県の篠山市に30坪弱の山林を購入しました。理由は子供の教育と、私自身の自然への回帰のためです。(しかし、この土地の前には県道が走っているのですが・・・)2005年の目標は、ここにバラック小屋を立てて、月に一度ペースで訪れ、キャンプを楽しむことです。

後は何が在ったんだろう?
良く妻とけんかしました。
長男が幼稚園に入学しました。最初は集団行動が全くできず、いつも外れていた息子は幼稚園の先生の暖かい愛情もあり、お友達と一緒に歌を歌ったり出来るようになりました。最近では一緒に遊んでくれる友達も増えてきました。
そんな彼も、妻の入院時には、夕方からはいつも私の仕事場で私の仕事が終わるまで、じっと静かにすごす日々。でも、彼なりにその時自分の置かれている状況を理解し、しっかりと自分のすべきことをやってくれました。息子は妻の入院をきっかけに自制することを少しですが、身に付けることが出来ました。

また、息子には毎日お小遣いを渡すようになりました。欲しいものを買うためにこつこつと貯めることと、見通しを立てて物事が出来るようにするためです。そして、数に親しみを持たせるためです。
彼の財布の中には今、1000円以上入っています。そのお金の使い方は彼の自由です。
そんな彼は先日お寺で気前良く50円玉をお賽銭箱に投げ入れてました。
まだまだ、価値はわかっていないようですが、彼なりにお金を大切にしているのは分かります。(時々並べて数えてはニヤニヤしている)

次男も二語分三語文が出てくるようになりました。

この一年いろいろありましたが、つらいとか嫌だとか感じた記憶がほとんどありません。
毎日毎日が進歩発展の毎日でした。

これを支えていたのは、やはりレイキです。
山も在れば、谷もありましたが、レイキを確信すればこそ、その谷の意味も理解できました。
全てが進歩と発展の過程であることを、レイキは期待させてくれました。
レイキで開運と言っても、ずっと昇り調子という意味ではないんですね。
飛躍のために沈み込んで溜めを作るのも、また大切なんですね.。
その溜めをしっかり作るために、私の心を支えてくれたのがレイキだったと言うことです。

そんなレイキをこれからも皆さんに伝えていきたいと心から思っています。

戻る

Copyright(C) 2014 おひさまレイキ