怪しい精神世界

レイキも含め精神世界は怪しいものです。用心しながら楽しんでください

次元の始まりは点?

私はいつもレイキセミナー受講生の方の答案で多くを学ばせて頂いているわけですが、時空とそれを構成するものについての考え方に非常に秀逸な解答をされた方がいらっしゃいました。正直言って私の頭では追いつかないくらい聡明な思考と感性でした。

質問は遠隔レイキヒーリング・時空を越えたレイキヒーリングが何故可能なのかと言うことを考えるものでしたが、そこでその方は0次元から4次元までの次元は全て同じものでできていると言うことを、スマートに示してしてくれました。

それは0次元の「点」が動くと、1次元の「線」となり、線が動くと二次元の「平面」を作り、平面の動いた軌跡は三次元の「空間」を作ることより、4次元とはその空間の時間的連続の軌跡が同時に俯瞰できる次元と規定されました。つまり、その次元では同時に、あらゆる時間と空間が俯瞰できるために、3次元の空間を進むエネルギーのイメージではなしえない、時間を超えるヒーリングと空間を越えるが可能になるとされました。

更に、今度は逆に立体の切断面が「平面」となり、平面を切断するとその断面は「線」となり、線を切断すると「点」となる、と言うことを分かりやすく示してくれ、その可逆性を示してくれました。

このあたりの検証は、いわゆる理系の人の思考を思わせますがこの方の経歴は詳しくは知りません。ただ、これだけの思索をできる方なのですが、このような問いを持つことをこの方自体はあまり好きでないようで、それよりも実践が大切、できると言うことが大切と解答の中で繰り返されていました。

いわゆる天才肌です。

物事に疑問を持たない人には二種類あります。

疑問を持続できない思考力の方と、疑問をもった瞬間にその答えのカギを手に入れてしまい、それ以上深く思索する必要を感じない人です。

そして、この後者の方は実践を通して、知らず知らずその理解を深めていくために実践が全てと言う結論に到りやすいのですが、これは答えのカギをもたない人間にとっては迷路に陥る原因になります。

天才は凡才の理解の過程をイメージできません。逆に凡才は天才のイメージの現れ方は想像できません。

凡才は凡才なりの理解の仕方があります。ちなみにレイキで開運の通信レイキセミナーは凡才向けのレイキセミナーです。

ただ、凡才は全て考えを積み重ねるだけで、完全な理解に到るのかと言えばそうではありません。

ある程度の思索を積み重ね、実践で確かめながら理解を深めていくのです。そして、ある程度の理解が進めば後は天才と同じ過程で究極にまで到ることになります。

最初の入り口が天才と凡才では違うのです。しかし、ゴールは同じですし、途中からはそれぞれの道は合流します。

レイキを感じない霊感も超能力も無い、そう言う力を持っていなくてもそう言う世界を直感で受け入れ理解できる人は本質的にはそれらの力を持っているのと同じ能力をあらわしていると言えます。しかし、そう言うこととは無縁の理解もイメージもできない人はそう言う方と同じ道を歩もうとすると挫折の可能性が異常に高くなります。凡人が天才の道を歩むのはばくちですから。

凡才は凡才なりの道を歩んでその世界に入るのが良いでしょう。

これがレイキティーチャーを選ぶときの基準の一つとなります。

あなたの???にどこまで答えようとしてくれるかどうか?

何も言わずにやってれば分かると言うティーチャーは天才肌の方向きのティーチャーと言うことです。

(こういうティーチャーの方が圧倒的に多いですが・・・どうも、精神世界では思考を軽視する傾向がありますね・・・)

おっと、話が大分それました。

次元の話でした。

この方の解答を見て、すごいと思いながらも、どうしても???となるところがありました。このときの感覚はこの方の解答に対するものと言うより、ずっと次元について私の中で矛盾を感じていたものについての感覚でした。でも、私の知能ではそれが何なのかを見つけることはできなかったのです。

それがその晩寝ている間にこれかも?と言うことが頭に浮かんでいました。

それは、次元の順序です。

我々は次元について、

0次元:点

1次元:線

2次元:面

3次元:立体

4次元:時間

と言うように思っています。

確かに4次元までの次元の要素はこの4つかもしれません。

しかし、4番目に「時間」が来ると次の次元がイメージしにくいことと、それでは3次元までの次元ではその次元の存在をどのように存在せしめられるのかが、イメージできなかったのです。

時間の流れが無い次元と言うのはどんなものか?

果たしてそれは「ある」と言えるのか?

もしかするとこれは浅はかな人間の屁理屈なのかもしれませんが・・・矛盾を感じました。

そこで、この宇宙のあらゆる次元の始まり、全てがエネルギーであったころ(空間も時間も混沌としてそれらを計ることが無意味であった状態)から、この宇宙の生成への移行の時をイメージしたとき、最初に時間の流れが生まれることであらゆる次元が形成されていくのではないかと思ったのです。(時間とは状態の継続・変化のものさしです。3次元空間がたて横高さの位置を座標で表せるのと同じです。)

全ての元となるエネルギーが最初にこの宇宙の生成の目盛りとなる時間を次元として生み出すことで、その時間に沿ってダイナミックに宇宙空間が成長を始めたのです。(推測でしかありませんが・・・)

時間次元の形成の後に、全宇宙を作り出す元となるエネルギーが点となり存在を始め、それが時間軸に沿ってそれぞれの次元を構成するエネルギーへと分化しながら広がることで、「線」の次元、「面」の次元、「立体」の次元を構成していったのだと感じました。そして、我々(の肉体)は「立体の次元」産み落とされた存在であると言うことです。

おそらくは宇宙の大本となるエネルギーは、更に高次の次元を生みつづけ、そこにも多くの意識体を生み落として行っているのでしょう。おそらくは我々の魂もそれらのどこかの次元で生まれた存在なのだと予想できます。

それが何故この次元(4次元)に生きているのか?

それが、レイキを通して感じられるようになればと思う毎日です。(答えが無くてすみません)

と言うことで、現在(18年1月)の私の次元に関する考えは、

0次元:時間

1次元:点

2次元:線

3次元:平面

4次元:立体

と言うようになっています。(モノの存在を基準にした場合。これからもころころ変わるかと思いますが・・・)

このような考えに到る元になったのは日ごろの疑問もありますが、セミナー受講生の方の解答がそのきっかけであったとこを感謝しています。

本当にレイキティーチャーとは単に教える、伝える存在ではなく、その行を通して学びつづける存在なのであると実感する毎日です。皆さんのどのような疑問にも、どのようなコメントにも意味があります。その意味を謙虚に読み取れるかどうか、正直言ってレイキをしては居ますが、霊気の能力があるとかないとかには私自身としては興味がありません。どれだけの学びが得られるか、それが私にとっては一番大切なことです。

そして、それは現在では、レイキを必要とする方にお伝えしお役に立ちながら、その方々の言葉の中にある種の導きを見つけるのが私の今のステージであると認識する次第です。


予断ですが、このイメージを固めているときに、高校で習う微分と積分を思い出していました。

 モノの存在について 1次元を F(X)=X のように関数としてあらわせるとすれば、

2次元はこれを積分した F(X)=X・X/2+C(積分定数)

3次元は更に積分したF(X)=X・X・X/6+C(積分定数)

4次元は同様にF(X)=X・X・X・X/24+C(積分定数)

となり、

また、これらを微分していくと、逆に戻っていくことになります。

この中で各次元でのどの部分を積分するかによってC(積分定数)は固定されることになり、具体的な一つの世界が再現されます。また、微分をすることで、微分をする前の世界の変化のベクトルを得ることができます。

(微分をした時に、条件の数値を細工し、積分しなおすことで現実とは違う現実?の流れを生み出すことができます。)

これは最初に言っていた、次元の説明を数学的なイメージに置き換えただけのものです。

(ただし、実際の次元を計算する方程式はもっと複雑なものとなると思います。こんな幼稚な数式を書いていたら、少しでもそちらの専門をかじった方には笑われるかもしれませんが、それを承知で私の現在のレベルを開示するために示します。)

以上、私の戯言にお付き合い頂きありがとうございました。

補足;平成26年

現在では次元については各次元が独立したものでもなく、4次元までの空間がその他の次元とは無関係に存在することもないものと思っています。

元々宇宙には次元そのものがなく、ただのエネルギーの海のようなものであり、そのエネルギーのあり方が表現されたものがすべての次元によって構成される我々の存在する宇宙だと思います。

我々はその4次元分について認識することができますが、その他の次元も同時に存在しています。
そして、我々の認識の外でこの4次元を支えています。
ただ、私たちの存在していると思っている空間には映らないだけなのです。

それは、二次元平面上には三次元空間の存在は平面が交わる座標しか存在していないのと同じことが我々の空間で起こっているにすぎません。

たとえば、今の時間座標上には三日前の時間に存在したものは存在しません。
いや自分は三日前に存在したという人もいるでしょうけど、今の自分と三日前の自分の中身は違います。ただ連続した意識が三日前の自分と今の自分を同一の存在だと思っているにすぎません。

別のたとえでは、同じ場所を観測していて、やはり今と三日前で比べれば、その座標に存在するものは変わっています。
それは、すべての次元を座標にして存在を表すとすれば、他の座標が同じでも時間の部分が違えば、その存在は同じ場所にはないのです。

仮にこの宇宙が5次元だったとして在る存在を(1,2,3,4,5)と座標で存在を表したとして、別の存在を(1,2,3,4,6)と表したとします。
そうすればこの二つの存在は、在る角度から見れば同じ場所に重なって見えるでしょう。しかし、別の角度から見れば隣り合って並んで見えるでしょう。
これが、霊的な存在のからくりです。
それは別の世界にあるのではなく、人くくりで我々と同じ世界(同じ座標系)に存在しているのです。
つまり死んでもあの世に往くのではありません。
この世にいるのです。
ただ、座標が我々が認識できる次元空間と少しずれてしまうだけなのです。


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